西村和雄先生によるレジュメ

美味しい野菜とは

 

美味しい野菜とは?どんな意味があるのだろうか。私が有機農業という、あまり知名度は定かではないが、農薬や化学肥料を使用しない作物の栽培方法に携って、かれこれ40年にもなる。この間ずっと、いろんな作物を国内だけでなく海外にも多数行って見てきた作物の姿・野菜の出来あがりを、そして口に入れてみた経験から言えることを説明したいと思います。

まず、なぜ有機農業に私がこだわっているのかをすこし述べておきます。1994年のことです。農水省が腰を抜かすような事件が北海道でおこったのです。1994年と言えば、その前年の94年は日本列島に予想だにしなかった冷害のため、東日本では遅延型の障害(稲の穂が全く出なかった)が発生し、西日本では例年のように肥料を与えた為に、イモチ病が大発生して穂が真っ白になり収穫がほとんど期待できなくなると言う事態になった年です。

この時、日本有機農業研究会の依頼で、チームを作り現地調査とアンケートで、冷害が有機農業では回避できたのか?東日本を中心に廻り、アンケートの結果とも突き合わせてレポートを書いたことがありました。その結果を言っておきますと、収量を上げようと、JAが言うとおりに化学肥料をガンガン投与した水田ではどこでも壊滅的な打撃を受けたのです。

それに引き換え対照的だったのは、JAの言うことを聴かずに水稲の葉色を見ながら肥料をチョロチョロ投与していた農家(化学肥料でも)と、有機栽培で堆肥中心の有機物を投与していた水田では、ヤマセが来るだろうと予測して深水をしていた農家だけが収穫をしっかりと確保していたのでした。

 

 翌年は例外とは対照的に旱魃年となり、またもや大事件が起こったのです。それは放牧牛の大量死。北海道の某所、日照りが長い間続き、牧草を大きく育てようと散布した尿素肥料が、地下に浸透せずに地表近くに残留したまま硝酸態窒素になっていたところへ、やっと雨が降ったのです。弱り切っていた牧草は水を吸ったと同時にいきいき元気をとり戻したのです。乾牧草ばかり食べていた牛に生草を食べさせようと、放牧場へ放したのです。

 嬉しそうに生草をムシムシ食べた牛がその夕刻、口から泡を吹いてバタバタと倒れ、もがいて死んでいったのです。原因は生牧草が大量に吸収した硝酸態窒素による中毒死。硝酸態窒素が腸で還元されて亜硝酸になり、それが体内に入ってヘモグロビンと結合してメトヘモグロビンとなり、酸素運搬能力を失ったための窒息死。

 まさかこんな硝酸中毒が起きるとは。それも雨の多い日本で、と農水省はこの事実を隠ぺいしたのですが、勇気ある道立農業試験場の方がマスコミにチクッて、ばれてしまったのです。

 そんなこともあってか、農水省はエコファーマーを作り、農薬と化学肥料を半減するように勧めたのです。世の中に有機農産物ブームが広がってゆくのを、いまいましく思っていたこともあったのでしょうね。

 

 だからこそ、化学肥料をドカドカ与えてはならんのです。同じことは、有機栽培でも鶏糞や牛糞をたっぷりと与えている有機栽培にも該当するのではないのか?ということです。それを私なりに言うと、収量と食味とは反比例する。ということ。

 収量を上げようとすればそれに比例して農産物の食味が落ちるのです。もう少しいいますと、作物は人を見て育つ。とでもいうことでしょうか。

 

 じつは野菜だけの話ではなくて、米で美味しいのは?という根拠もあるのです。昭和40年ころ、日本人の米消費量は150キロでした。それは1石という単位。じつは尺貫法というのは人間の身体を基準にして生まれた意味のあるものさしなのです。

米の消費量は現在では年間一人当たり60キロにまで落ち込みました。こうなった最大の理由は170年から始まった減反政策。農家の癖というのをまったく知らない官僚は××のひとつ覚えで、生産する水田の面積を減らせば米の生産量は減るだろうというシンプルそのものの頭構造。それに加えてJAが農薬と化学肥料を一手に握っていたため、この両輪をうまく使って単位面積当たりの収量を上昇させていった。東北では10アールで12俵以上収穫できるようになりました。ところが減反以来しだいに米が不味くなっていったのです。この影響は野菜作にも波及していて、とにかく収量をあげようといまだにしています。

 こうなると余分に肥料を吸収した米・野菜はしだいにメタボ状態になり、ブクブク大きくなるだけで中身があまりない米・野菜となったのです。したがって、野菜の育ち方をつぶさに見ていると、育ち方に特徴が見えてくるのです。それを見るだけで、作物がどのように育ったのかが分かるようになるのです。

 では野菜の見方を説明してみましょう。

○葉は、順に規則正しく展開してくる。

 

○葉の色は 五月の新緑の浅い緑色

 

○色は薄く見えるが、茹でると緑が一層鮮やかに濃くなる。しかも茹で汁が染まらない。

 

○葉を外側の古い葉から順に茎から外して並べると、葉の高さ放物線を描く。葉の生長記録でもある。

 

○葉脈を見るには葉を裏返しにするほうがわかりやすい。

 

○主脈(中央の葉脈)から左右に規則正しく支脈が出る。また支脈の間には網状の脈が細かく見える。

 

上記の葉脈の出方はそのまま地下で出る根の分岐の仕方を反映している。

 

と言うことになるでしょう。

では、どのようにして作物を育てればいいのか?肥料なしで作物が育つわけないだろう!

そんな思いが伝わってきそうですが、実のところ肥料は天から降ってくるし、地からも湧いてくるのです。その理由は?

 

雷と言う字は、雨かんむりに田と言う字を書きます。つまり雷が鳴って空中放電すると、その高電圧で窒素ガスが窒素酸化物になり、雨や雪とともに降ってくるのです。昔の人曰く、雷の多い年は豊作になると言っていたのです。だから窒素肥料は天からも降ってくるのです。それが証拠に、稲妻と言う字は、稲の妻と書くのです。稲光もそうです。二つとも稲が育つからです。

 ではリンは?最近は言いにくくなってきたのですが、黄砂に伴って、リンが降ってくるのです。私が一緒になって調べ、みごとな学位論文を書いた学生(最後でしたが)が証明してくれたのです。もっとも黄砂とともに最近は中国から毒がいっぱい降ってくるので、言うのを憚ってはいるのですが。その量は、1ヘクタール当り80グラムのリン酸が毎年、ふってくるのです。

 じゃあカリは?土壌の中にウジャウジャあります。

 しかも土壌生物がたくさんいて、それが窒素固定をし、いろんな養分を生きているからだとして土の中でがっぽりと蓄えてくれます。それが地力なのです。それこそが本当の有機栽培であり、肥料分としては有機物を与えるのがいいのですそれこそ「土の食べもの」その与え方を作物の葉を見ながら考えて行くのが優位栽培農家の仕事なのです。

2015年9月9日

西村和雄